飯高壇林

日本寺の紫陽花へ

飯高壇林は旧八日市場市(現匝瑳市)の東総広域農道から谷地に向かい真っ直ぐ入った行く道の奥にある。
飯高寺は日蓮宗のお寺である。
このお寺は普通、飯高壇林と呼ばれている。
由緒は天正元年(1573)要行院日統が八日市場市飯塚の光福寺に学室を開設が檀林の前身とされる。
その後に京都から教蔵院日生を招き、天正7年土地の有力者,平山刑部の後援をえて学室を当地の妙福寺に移す、
これが飯高檀林の発祥であると書かれている。僧侶の教育と宗学を研究を目的として開設され,
翌年(1580)には現在の土地に移っている。壇林とは栴檀林(せんだんりん)の略である。
僧侶の集まりを栴檀の林にたとえ、学問の寺であるこの地に集まる僧侶の姿を尊称するとともに
仏教の学問所を意味している。
駐車場から登って行く道からはまず最初に講堂の側面が見える。九間、六間の大きなお堂である。
学問所であるこのお寺は現代の日蓮宗の大学・立正大学の前身でもある。
立正大学の案内には「立正大学の源流は、教蔵院日生が学徒の教育と日蓮宗学・仏教学の研究を目的として、
下総国飯高郷(千葉県八日市場市飯高)に開設した飯高壇林(いいだかだんりん)に求めることができます。」
と記されている。
このことから飯高壇林は日本で一番古い大学であると言える。
この講堂は慶安3年火災にあい焼失し、慶安4年(1651)に13世寿量院日祐のとき再建された。
江戸時代初期にふさわしく、側面の虹梁を見ると彫られている蔓の線も細く、その曲線も円に近い。
また、彫りも浅く、奇麗である。中央の部分にある虹梁は絵様のある挿し肘木の上に乗り、
蔓の形も違うが側面と同じように彫りも浅く、鋭い。 
講堂の前二間分は大きな吹き抜けとなっており、建具は付けられていない。
この広い空間で多くの僧侶が議 論を交わし、お経の勉強をしていたのだと思う。
壇林としての地位は教育委員会の資料によると「法華宗学徒の教育機関(檀林)は主に
関東,関西方面に創立されていきましたが飯高檀林がその中にしめる地位は,
檀林間の編入学の取り扱いに明確に示されています。
それによると,下総の中村檀林(現在多古町南中)の止観部(大学院程度)から転入した場合は,
一過程下の文句部の最末に編入され,また関西の諸檀林から転入してくると教授格の者でも
助手格まで落とされています。
以上のことから数ある諸檀林のうちでもその優位性は,はっきりと示され,法華宗の中における最高で
最大の学問機関として位置づけることができます。」とある。
学問所としての地位も高 かったのだと思う。

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