伊能忠敬 誕生から伊能家婿入りまで

 

伊能忠敬(初名、三治郎)は、千葉県九十九里町小関の名主・小関家で生まれた。

父親の貞恒は現在の横芝光町小堤(おんずみ)にあった酒造家・神保家の次男で、
小関家の長女ミネに婿入り結婚した。
当地は「姉家督」といって、例え女子であっても長子が家を継ぐ慣習があった。
三治郎6歳の時、母ミネが亡くなり、家は叔父(母の弟)が継ぐことになった。

この地の風習では、「姉家督」が死ぬと、婿は実家に帰るのがしきたりがあった。
小関家の相続は三次郎の母・ミネの弟が継ぐことになります。
父貞恒は、実家の小堤の神保家に戻るが、三治郎は祖父母の元に残った。

10才になるまで古関家で過ごし、当地の妙覚寺住職に、
読み書き算盤を教え込まれたと言われます。

その後父親の住む神保家に行くが、三治郎は家に定住せず、
親戚や知り合いの元を転々としたといわれている。

常陸の寺では半年間算盤を習い、また17歳くらいのとき土浦の医者に
医学を教わったと記録がある。
そんな時期に地元の坂田郷での土地改良事業があり、算術の知識を見込まれ、
現場監督を頼まれた。

この時の仕事ぶりが評判になり、それを見込んだ多古の地主で親戚の
平山藤右衛門の世話で、佐原の酒造家の伊能家の娘ミチと三治郎は婚礼を行い、
正式に伊能家を継いだ。