台風15号後遺症 顛末記

房総半島を襲った台風15号。停電 断水 電話やネットの不通で大混乱に陥りました。
台風の後遺症の記録です。

 
 

夜明けの午前6時頃の様子です。
風雨は夜中より収まってはきていますが、まだかなりの暴風雨です。

 

 

第一日目

停電しているので猛暑の中、朝から台風の後始末に追われていた。
防災無線で何やら騒いでいるが、我が家から少し離れているし、耳の遠くなった私には何を言っているのか分からない。

お昼は冷蔵庫の中のあるものを食べてしのいだ。

停電と言うものは長くかからないと、たかをくっていたが、午後になっても復旧しない。
3時過ぎ、水シャワーでもかぶろうと思ったら、今度は水も出てこない。

少し離れた私の実家は井戸があるので、水をもらいに行くと、電気はきていて、地下水なので何事もなく生活していた。

そこでテレビニュースを見て、事の重大さを初めて知った。

夜は私たち夫婦と子供たち家族で、お風呂を借りて助かった。
エアコンのついた部屋を解放するので泊まって行くよう勧められたが、遠慮して自宅に帰って寝た。

その晩の暑さったら無風状態で、この夏最高の蒸し暑さ。半端なかった。
遠慮しないで泊まってくれば良かったと後悔した。

強風で倒れた国道沿いのガードレール。風の強さを表しています。

 

第二日目

終日電気水道ともにダウン。何故か固定電話スマホの通話もインターネットもアウト

完全に陸の孤島。たまに車に乗った時のラジオが情報源
娘や親戚、友達から見舞いの電話が入るが、スマホをタッチすると切れてしまう。

この暑さで冷蔵庫内もすべて解けて、ゴミとして処分するしかない
食事の調達に出かけるも、スーパーはお休み

コンビニが一軒だけ開いているが、冷たい飲み物や、すぐ食べられるものの陳列棚は空っぽ
そして商品が切れるとすぐ閉めてしまった。

人間食いだめが出来ないので、食事の時間になると大変です。
コインランドリーが一軒開いていたが、洗濯機の前に長蛇の列が出来ていた。

また電気のきているガソリンスタンドの周辺は大渋滞。3.11を思い起こさせる。

停電二日目の夜は、昨日に増して蒸し暑かった。
時々車の中に潜り込んでエアコンかけてしのいだ。

 

第三日目

三日目、水道が復旧した。
滅多に出来ることのない冷蔵庫内のトレーを外して、庫内の大掃除。洗濯は手洗いで行なう。
暑さは相変わらずで、東金市内は停電が回復したとの情報で、午後から買い物がてら、涼みに東金サンピアへ行った。

食品はそれなりですが、揃ってきました。
私と同じような人たちで、イベント広場には沢山の人たちであふれていました。

夜に雷雨があり、急に涼くなりました。

 

第四日目

四日目、電気が復旧した。
我が家ではこれで元の生活に戻れましたが、長男の家はまだ停電しています。

小学校も停電で休校。子供たちは我が家に避難してきています。
電車も開通したようですが、まだまだライフラインの切断されている区域が多数あるようで、大変な状態です。

我が家は実家が近く、電気水道すべて使わせてもらえたので幸いでした。

我が家の栗は収穫間近でしたが、枝は折れるし残った枝の実も落下して、収穫ゼロです。


7日目 (9月16日)

被災後一週間目。本格的な雨です。
倉庫が雨漏りしているので、山武市松尾支所に青シートを頂きに行ってきました。

山積にされたシートがありましたが、沢山の人がきていました。


駐車場には自衛隊の災害派遣の車輛が沢山ありました。
お風呂も用意されているようです。


室内では、携帯の充電をされている方が沢山いました。
まだ電気の回復されていない家庭が沢山あるようです。


おにぎりの炊き出し配布もされています。


9月18日(水曜日)

10日経過しましたが,まだ停電の復旧が遅れているようです。
18日午前8時の時点の自治体別停電戸数

山武市の回復が遅れています。
山武杉の倒木が多いためだと思われます。

▽山武市 6900戸
▽南房総市 6800戸
▽富津市 5500戸
▽八街市 5300戸
▽市原市 4200戸
▽君津市 4000戸など


台風15号では山武杉の倒木で、電気の復旧に大変な障害になっています。
今の山武杉は、戦後の国策事業として植えられたものです。

私も子供の頃、休みには手伝わされて苗木を植えたものでした。
苗木は外国から輸入したものと、聞きました。

あれから70年ほど経過。こんなことになるとは、当時の大人たちも思いもよらなかったと思います。
昔の九十九台地はマツ、スギ、ヒノキの多い林で、杉はわずかでした。
「松尾町」と名乗るくらいですが、今は松はほとんど見かけません。

当時、下草は燃料や牛の餌として綺麗に刈られて夏はユリ、春にはクマガイソウや春蘭の自生する台地でした。
燃料は石油製品に、建築材は安い輸入材にとってかわり、山は荒廃しました。

一銭にもならない森林管理の意欲は低下し、大量の放棄山林が生じて、今では茨だらけで立ち入ることさえ困難です。