鬼 来 迎 観劇記

来迎「きらいごう」とは、千葉県山武郡横芝光町虫生地区の広済寺に伝わる、
地獄の様相と菩薩の救いを仮面狂言にした日本唯一の民俗芸能です。

昭和50年に重要無形民俗文化財に指定されました。

 

 

千葉県山武郡横芝光町虫生(むしょう)地区。
この少し変わった名前の山村が、「鬼来迎(きらいごう)」と呼ばれる仏教劇が長きにわたって、
伝承されている場所です。

「毎年8月16日」の施餓鬼供養後、直ちに執り行われます。
「虫生地区」は、国道126号芝崎交差点より北に入り、小さな丘を一つ越えた山懐に囲まれた、
何の変哲もない純農村地帯です。

戸数わずか25戸ほど、ここに800年もの長い間、この区域の人たちだけに守られ続けられてきた
古文化が残されていました。

 

狭い道を通って区域に入ると何処にでもあるような中規模の、ありきたりのお寺があります。
「広済寺」です。ここが鬼来迎、又の名を「鬼舞」と呼ばれる仏教劇が伝承されているお寺です。
本堂の中では現在「施餓鬼供養」が行われております。
広済寺には、杉木立に囲まれた仁王門が入り口にあり、それをくぐりぬけると、この写真正面に
見える本堂が現れます。
まだ開演前2時間以上、すでに外国人、プロアマカメラマン、そして大学の取材陣などが、
集まってきていました。

 

右手側、幕のかかっている所が舞台です。
舞台は本堂より外縁側で続いており、役者はそこを通って出入りします。
舞台は間口六間、奥行三間ほど。下手に「死出の山」と称する梯子段で高くなった部分が
設けられています。
舞台の周囲はそれらを隠すように、当日に採取された新鮮な枝葉で覆い尽されます。
役者は本堂で仮面や衣装を身に着けて、準備します。
役者と言っても全員区域の人たちです。

 

開演直前の観客席の様子です。
ご覧のように場内は狭い境内のうえ、台風接近の蒸し暑さと
人いきれで、むせ返っています。
皆さん玉のような汗をかいていました。

 

開演です。
舞台下手から最初に現れるのは、不気味なお面をつけた二人の亡者に扮した役者です。
「ジャラ〜ン・ボロ〜ン」のどらの音と共に「ほっほっほっ」の奇声が響くと現れて舞台の四方に
清めの塩をまきます。
親達と見学に来ていた子供達は、ここで大体泣き出して退散します。

 

引き続いて地獄の主役の勢ぞろいです。
閻魔大王、倶生神、鬼婆、黒鬼、赤鬼、のそろい踏みです。
面白いのは、主役が登場時に何度も型をつけることでした。
何か歌舞伎の大見得を見ているような雰囲気でした。

 

続いては鬼婆による赤ん坊の「虫封じ」です。鬼婆に抱かれると、生まれた子供は、
健康に育つとの言われから行われる行事です。が、赤ん坊にとっては大変な恐怖の瞬間です。
一歳以下の近郷で誕生した赤ん坊が親の手を離れて次々と鬼婆の元に連れて行かれます。
鬼婆が赤ん坊をしげしげ眺めた後に「うおー!!」っとうなります。
たちまち子供は手足をばたつかせて、大変なパニックに陥ります。

 

「賽の河原」と呼ぶシーンです。
親に先立った童達が,親を偲んで石を積みます。
怖いシリーズの中で、唯一可愛らしい、和める部分でした。子供が河原で石積みをしていると、
鬼が飛び出してきて、それを邪魔します。

そこに現れるのが「地蔵菩薩」で逃げ惑う子供達をかばい、一人の子供を抱き上げて後ろに
子供達を従えて、お経を唱えながら静かに舞台を去ります。

この部分だけに、女の子が参加出来るそうでした。

 

またまたおどろおどろしい、地獄の場面に戻ります。
生前の大悪人が地獄の裁判の後に罰として、釜茹での刑に処せられる部分です。

鬼の「茄なら食ってしまおうか」と叫ぶ声も聞かれました。

 

こちらはまた別の生前の大悪人でしょうか。分かりません。
生前の悪行ゆえに、鬼と鬼婆により、なじられ、叩かれ、山に追いやられます。

また山から突き落とされたり、また下りてきた亡者に鬼が押しつぶしたり、この部分は
芝居とはいえ、あまりにも悲惨な部分の連続でした。

 

そこに現れた観音菩薩は鬼を説き封じ,卒塔婆を残して亡者を救出します。
そして亡者を従えて、下手からゆうゆうと舞台から下がります。
残された鬼が悔しがって塔婆を投げ捨てて大見得を切って
怒号を発して幕となります。

 

動画

 

鬼来迎 面の一覧   写真借用文献 

 (写真集)鬼来迎の郷  花澤信幸氏 より転載承諾済み