竹久夢二と海鹿島

 

大正ロマンの叙情画家・竹久夢二作詞による「宵待草」

誰もが知る有名な曲ですが、この舞台が銚子は犬吠埼の近くの
海鹿島(あしかじま)であったことを知る人は少ない。
 

銚子電鉄海鹿島駅の近く、小高い丘の上には竹久夢二詩碑が
また地球の丸く見える丘ふれあい広場には、レプリカが設置されています。

 

夢二が避暑に訪れていた海鹿島の近くの海岸「君ヶ浜」を散歩していた時、
19歳のカタと出会います。



夢二が滞在していた旅館の隣がカタの実家で、カタは夏休みの帰省中でした。
二人はひと夏の恋となりましたが、その後も手紙のやりとりが続きます。

2人の関係を知ったカタの父親は、他の人との結婚を急がせました。

何故かと言うと、夢二は当時の世を震撼させた明治天皇暗殺計画「大逆事件」の
首謀者とされる「幸徳秋水」と親交があったため、警察から尾行されていました。


そんな生活に嫌気がさした夢二は、銚子の海鹿島に避暑に来ていました。
夢二には、妻子がいました。

夢二の状況を知ったカタの父親は、そういう人物とかかわるのを恐れて、二人の間をさきました。
家族を伴って引っ越して行ったのです。

翌年の夏、再び銚子を訪れた夢二は,カタとは出会えませんでした。
その失恋から生まれたのが,この曲「宵待草」です。
 

竹久夢二の宵待草に歌われる恋人カタは音楽家と結婚し,1男4女を育てて
平穏な生活を送り,1967(昭和42)年に亡くなりました。

夢二との関係は家庭内では公然の秘密事項でしたが
カタの晩年カタの長男の妻が「夢二さんを知っているそうですね。
どんな人でしたか」と尋ねると、カタは思わず顔をほころばせて

「そうね、今でいえば、ま、不良ね」といたずらっぽく答えたそうです。