北川千代と砂丘の村 |
雄大、素朴な自然の九十九里浜がおりなす光景は、多くの文人たちを生み出しているだけではなく、 沢山の作家や詩人たちが九十九里浜に足跡を残しています。 童話作家 「北川千代」 も、そんな中の一人です。 千代は、成熟期よりここ 「砂丘の村・蓮沼」 に移り住んで沢山の作品を生み出しています。 そしてすっかり村の住民となりきり晩年も蓮沼で過ごし、皆に親しまれました。 そんな彼女の素顔を、生い立ちや作品を見ながら見てみたいと思います。 |
北川千代は恵まれた環境の中で子供の時期を過ごしていました。 父親は日本煉瓦工場の工場長でした。俗に言われる中産階級です。 そんな環境の中で彼女を文学少女と育てたのは投稿雑誌「少女世界」でした。 この雑誌の「少女訓」と言う欄には「男の出来ることは女もできる。ただいつも分を忘れない・・・」 と書かれています。 この言葉こそ、書くことの好きな少女には水を得た魚のように次から次へと作品を投稿して行きます。 彼女の作品、「俳句、短歌、美文等」 は彼女の美貌とあいまって、同世代の少女たちの注目に 値するようになります。 だんだん少女たちのアイドル的存在になって行きます。 千代17歳(明治44年)の時 「町はづれの町」 と題する少女小説で、初めての入選をはたします。 残念ながらその作品は行方不明です。 二年後、19歳の千代は女子教育の地位向上組織「たかね会」に参加します。 そこにはすでに「吉屋信子」などもいました。 その中で千代の書かれた「洞窟から来た児」の文面の中には次のような言葉があります。 ★「綺麗な夢ばかり見てはゐられぬ」 「自分の力でその始末をつけねばならぬ」 これらの文言はすでに現実を直視した見方で、夢物語的な吉屋などとははっきり異なったものとなってきます。 20歳に満たない彼女がどうしてこのような思想的とも呼べる小説を書くようになったのかは、知る由もありません。 予想されるのは、当時の新聞や雑誌で書かれた貧富の不公平さや、社会の矛盾を感じて このような現実直視的な方向に向かったのかも知れません。 |
成人した千代は、周りの反対を押し切って「江口渙」と結婚します。 渙は当時帝国大生で、夏目漱石とも交流をもつ新進気鋭で、後にプロレタリア文学作家となってゆきます。千代もすでに作家として活躍中でした。 そんな結婚生活も長く続かず、破綻します。 新進気鋭の作家同士の離婚にあたり、マスコミも当時は面白おかしく報道しました。 予想された理由では、千代は「江口夫人」としてではなく、自立した一個人の北川千代として社会に認められることを望みましたが叶わなかったことではなかったかと、思われます。 その後千代はたたき上げ労働者であり、また足尾銅山のストライキを指導した、お尋ね者「高野松太郎」に思いをよせて行きます。左の手紙は高野より千代に送られた熱烈なラブレターです。 そんな千代の行動の中からも、下層階級の解放に最も活動すべきはずの前夫の「江口渙」に対するいらだちを感じとることも出来ます。 27歳になった千代は、日本で最初の社会主義団体であった「赤潮会」参加することになります。 その要綱には「私達は、私達の兄弟姉妹を貧乏と無知と隷属とに沈倫せしめたる一切の圧縮からの解放」 と、うたってあります。 こら彼女の作風は少女小説より変換し、一気に思想的とも言える個性的な短編少女小説へと変わってゆきます。 同時に江口家を去った千代は、失業中の「高野松太郎」と三河島で間借り生活を開始します。 三河島と言えば東京下町、当時では一番低所得者層の住んでいた当地を生活の拠点としたことからも、彼女の思想信条の一端を、おしはかることが出来ます。 ここで誤解されてほしくない点は、彼女は「貧乏でも愛さえあれば・・・」 などという甘い生活をしたかったのではない」 と言うことです。 彼女の当時の小説全般を通して流れる、貧乏ってものがいかに人間の正常な感覚を狂わせるかを書いていた彼女が、そのような甘い考えで新しい生活を始めたのではないことは、明白です。 自分の書くことの真実性を実践したかったのではないでしょうか。 |
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彼女の作品には、自分の生まれ育った環境に逆らうかのように、貧乏についての追求を作品の中で 追い続けています。 それは自ずから望み飛び込んだものでもありました。 そういう環境の中での幸福とは何かというテーマの追求で、およそ少女小説には似つわない題材の中での 少女向けの小説でした。これらの題材をおおまかに分類すれば @貧乏を題材として、多くの小説を書いてはいますが、貧乏を一つの方向からばかり、捕らえるこちなく、 あらゆる方向から見て、かつその描く手法も多面にわたっています。 Aこれらの題材を扱うには長編より短編のほうが優れているので、短編小説が、圧倒的に多いと言う事。 B生涯を蓮沼生活の前後で分けるならば、前期は貧乏の告発、貧乏のもたらす悲劇を中心に描かれていますが、後半は幸福の追求、現実調和の模索と思われる題材に変化して行きます。 |
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要約 少女小説 絹糸の草履 北川千代著 |